肛門科に乗り出す
チェンジはアメリカの政治家の常套句であり、必ずしもOさんの専売特許ではない。
しかし、この時期にチェンジを激しく主張してO大統領が登場したのは、シンボリックな意味以上のものがあるといえよう。
チェンジを唱えて当選した大統領には、近年の例ではK大統領がいる。
彼のチェンジとは「イッツ・エコノミー、ステューピッド(問題は経済だよ、馬鹿だなあ)」という選挙戦略上の合言葉に見られたように、B(父)政権時代に沈滞したアメリカ経済を活発にするはずだった。
それなのに、この問題に対しては屋上屋を架そうとしているわけで、なぜこのような決定的な矛盾を犯してしまうのか分からなくなる。
こうしたSさんの議論を聞いていると、あれほどバブルを生み出す人間の非合理性を炙り出した人物が、こんどは自ら金融の合理性の幻想に取り付かれているとしか思えない。
非合理性を強調する行動経済学者であるSさんと、合理性をとことん追求しようとする金融経済学者のSさんは、あきらかに分裂してしまっている。
アメリカを駆り立てる「チェンジ」と「保険」しかし、O大統領のアメリカは、国民にチェンジを求めているが、それはいったい何を意味しているのだろうか。
共和党のアメリカから民主党のアメリカへのチェンジだろうか。
白人大統領から黒人大統領へのチェンジだろうか。
実は、Oさんが唱えていたチェンジは、すでに内容が希薄になり、かなり空洞化してしまっているのではないだろうか。
アメリカの歴史の底流に、「進歩」という観念が横たわっているという指摘は、繰り返し行なわれてきた。
この国の政治学を研究した英国の政治学者Bさんは、この国の政治思想そのものが、進歩という観念の産物だと述べたことがある。
性化することだった。
それ以前の民主党の大統領でチェンジを唱えたのは、Jさんが有名だろう。
彼はこう述べたのである。
「我々の祖先は、チェンジを進歩だと信じた。
そこにアメリカの栄光があった」。
Jさんの時代には、チェンジを求めて新大陸にやってきた人々の記憶がまだ残っていた。
そこで、祖先たちのチェンジにこそアメリカの未来があったと述べたわけである。
日常的なアメリカ社会思想に見いだされるものとしての科学という一般的観念、普遍的な市民意識の養成という理念、アメリカ的なデモクラシーの習性の一般化、そして、以上のものすべてを包摂するものとされる、不可避的な進歩あるいはアメリカ社会のマーフェスト・デスティー(明白なる天命)への普遍的な信念。
もし、アメリカ人が歴史の方向について誤認しており、自由資本主義の下での長く穏やかな平和の時代に差し掛かっているのなら、いったい世界には何が起こっていて、そして、私たちはどこに向かっているのだろうか。
これらがアメリカの政治学および政治思想を形づくっているというのだ。
最近も、アメリカ史の底流にある精神的基板をテーマにした本がいくつか書かれている。
そのうちの一冊である政治学者の『神と金』は、未来に対して常にオープンにしておくアメリカの姿勢を、あらためて確認しようとした本だといえる。
ところが奇妙なことに、この本のなかで著者は、アメリカから未来への信念が蒸発しかけていることを、心ならずも告白してしまっているのだ。
アメリカを駆り立てる「チェンジ」と「保険」金融経済の投機が進めば進むほど「保険」が多くなった経済の問題に戻ろう。
この二十数年の間、激しい金融自由化によって世界はシャッフルされ、そのなかでアメリカは未曾有の繁栄をとげた。
九○年代から二○○六年までの間に、アメリカは世界を金融化することによって、自国にドルで測った富を招きよせ、そのことで世界の富の増加分の半分以上を自分たちのものにした。
そのドルで測った富によって、アメリカ人は多くのモノとサービスを手に入れたが、自分たちで作り出したものは少なかった。
より多くの変動を意図的に起こして、より多くの富をアメリカを駆り立ててきたチェンジには、いまやJさんが指摘したような信念は希薄になってしまった。
チェンジの果てに、繁栄があると担保するものは何なのか。
激しい変化の時代には、その不安から逃れるために、何らかの「保険」を求めようとするのである。
しかし、保険が効くのは数学的に確率計算が出来る事象に限られる。
巨大な歴史的行為とは、そもそも確率計算を超えたものに他ならない。
そしてまた、世界が同時に崩壊するような時代には、保険のメカニズムも機能しなくなる。
いま目撃しているのがそうした事象であり、そうした時代なのではないだろうか。
手にするのが、この二十年間におけるアメリカ金融システムの本質といえた。
利益を生み出すために市場を揺り動かしても、必ず均衡するというのが彼らの世俗的な信仰だった。
とはいえ、多くの不確実性に対処するために、デリバティブを駆使し、保険を縦横に張りめぐらせて、リスクから逃れることも試みないではいられなかった。
しかし、いまやこうした危うい金融システムから脱却するため、金融危機の火元であるアメリカはもとより、ヨ−ロッパ諸国でも、すでに積極的に不況対策に取り組んでおり、同時に、国際的経済ガバナンスの再建についての検討も始まっている。
これまでのグローバル経済に批判的だったノーベル経済学賞受賞者Sさんは、スペインのバルセロナで繰り返しシンポジウムを開催して、国際経済の建て直しを議論してきた。
Sさんが主張しているのが「ポスト・ワシントン・コンセンサス・コンセンサス」である。
これは国際市場の完全性を前提とした「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれる指針から、多くの欠陥のある現実の国際市場を前提とした新しい指針に変えようというものだ。
Sさんが主張している改革案のなかでも、特に興味深いのは国際基軸通貨をドルから「バンコール」と呼ばれる人工通貨に換えてしまうという提案だろう。
一九四四年、英国とアメリカの通貨専門家がブレトン・ウッズに集まって、第二次世界大戦後の国際通貨体制を話し合ったことは知られている。
このとき、英国の代表だったのが『雇用、利子および貨幣の一般理論」で知られるKさんで、アメリカ側がHさんだった。
Kさんはすでに衰退していたポンドを姐上に載せるのを避け、人工通貨である「バンコール」で戦後の通貨体制を作ろうと提案する。
しかし、アメリカの国力を前面に出してドルを国際基軸通貨にする案を主張するHさんに屈服せざるをえなかった。
ここには、世界秩序を担う過去と未来の政治力と経済力の激しいぶつかり合いがみられたわけである。
各国が保有する準備通貨がドルから二つや三つに分散すれば、より不安定なシステムになってしまう。
もし、ドルとユーロの二つになれば、米国に問題が起きたときは、みんながユーロ買いに殺到する。
逆に欧州に問題が起きれば、ドルに殺到するだろう。
それでは不安きわまりない。
今回、Sさんがバンコールを再び主張している背景には、Kさんが衰退したポンドを前面に出せなかったのと同じく、ドルがすでに衰退の過程に入っていることがあげられるだろう。
ただし、異なるのは、Kさんの時代にはすでに戦後の世界が漠然と見えていたのに、Sさんには世界の未来をまだ見通すことができないことだ。
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